第1回 「キッチン」(吉本ばなな)
【あらすじ】
桜井みかげは、両親と死に別れて、ずっと祖母と暮らしていたのだが、
ある日祖母に死なれて独りぼっちになる。
その後、花屋の店員で祖母のお気に入りの田辺雄一に声をかけられて、
「田辺家に拾われ」る形で居候を始める。
雄一も片親で、しかもその親は、
もともと男だったのに、彼の妻・雄一の母親が死んでから、女性になってしまったという人だ。
以来、彼女はオカマバーで稼いで生計を立てている。
みかげはそのうちこの家にいることが不自然な気がしてきて、出ていこうとする。
しかし、そう決意すると涙が止まらなかった。みかげは雄一にひかれ始めていたからである。
その晩、みかげはラーメンを食べる夢を見る。雄一も全く同じ夢を見ていて、
ふたりはずっと一緒に食卓を囲む関係でいられることを確信する。
(以下「キッチン」続編の「満月」のあらすじ)
雄一の性転換した母親が、ストーカーに殺され、雄一もまた独りぼっちになる。
みかげは、その前から大学をやめて料理を学んでいた。雄一は、みかげの負担になるのが嫌で、
みかげの前から去っていこうとする風であったが、
仕事の取材旅行中であるみかげがあまりにおいしくて持ってきたカツ丼を、
雄一の旅行先で食べて、雄一は癒される。雄一は、これからもみかげと一緒にいることを決心する。
【話の要約】(ページ数は、福武文庫版)
文体が会話調で読み易い。が、人によっては鼻につくのかな、と思っていたら、
みなさん大体読み易いと感じているようだった。そして、やっぱり高校生の時分によく読んだという子がいた。
しかし、この読み易さや、物語の簡素さの中にも、読み終えてみると何か引っかかるようなものが心に残る。
それは、例えばS浦さんが指摘したように、「先日、なんと祖母が死んでしまった。びっくりした。」(7ページ)
とか、「思わず、おじいさんの古時計を口ずさんでしまいながら、私は冷蔵庫をみがいていた。」(34ページ)
などのように、よく考えると変な振舞いが随所に出てきているからである。
世間一般では、おばあさんが死んだら、
普通そのとき生じる感情は「悲しい」ということになっている。しかし読者のうちのいくらかは、
自分たちのおばあさんが実際に死んだとしたら、恐らく「びっくり」するという方が
当たっている感情を抱くのだろうなあ、と想像するのではないだろうか。
あるいは、少なくとも「びっくり」するという感情はよく分かる、という人か。
つまり、ステレオタイプな「死」の表現は、悲しみによって描かれ、
そのことに読者は慣れている。作者はそのズレを巧みについているのだ。
言葉というものは、インフレを起こす。
例えば、悲しみを表現するのに、「とても悲しい」という言葉を使う。
しかし、この「とても悲しい」という表現が乱発されると、「とても悲しい」という言葉によってイメージされる感情は、
慣れによって次第に弱いものになる。そこで、「めちゃくちゃ悲しい」「死ぬほど悲しい」など、
形容詞を強めることでそれを補おうとする。しかし、結局表現の陳腐化によって、
イメージされる感情は弱まってしまう、という連鎖が、言葉のインフレである。日常生活で、ちょっと疲れただけで
「すごく疲れた」などと言ってしまうのと同じだ。
言葉のインフレで、言葉がインパクトを失うのを避けるために、
吉本ばななは、ずれた表現を使ういるのである。ずれた表現を用いることで、言葉は読者に迫力をもって立ちあがってくる。
また、爽やかな読後感の理由として、性的な描写がない、ということが挙げられる。
若い男女が一緒に暮らす、
という場面が、セックス抜きで描かれている。親の目が光っているという物理的制約も、
道徳や因習といった精神的制約があるわけでもないのに、である。
これはとても爽やかではあるが、現代ふうではない。
これも、読者に違和感を生じさせている原因である。
そして、セックス抜きで、濃厚な恋愛小説を書くために、
作者は、キッチンを出してきている。
セックスによって男女が結ばれるということをゴールにするのではなく、
食卓を囲むという日常の風景を一緒に作っていける相手が結ばれるべき異性なのだ、ということだ。
キス→ペッティング→セックス、という直線的儀式を飛び越えて、この人が自分の家族として
ずっと目の前にいるとしたら、自分は幸せだろうか、という考え方をすることは、セックスやの「愛」やのが、
それこそインフレによって価値をなくしている現代では、私達の胸を強く打つ。
こうして見ると、みかげも雄一もえり子も、一見ずれているようで、
実はとても合理的な考え方をしていることが分かる。
しかし、周りに理解はされにくい。
だから、みかげは恋人だった宗太郎とうまく行かなかったし、雄一は付き合っている奥野さんと摩擦を起こし、
えり子はストーカーに殺される。みかげが雄一にカツ丼を渡しに行くときに苦労したことに暗示されるように、
多数の人間と違うというだけで、彼らには多くの困難が待ちうけているのである。
…今の社会の一端を見るようで、やるせない…
ところで、K全さんから、「続編のタイトルは、なぜ『満月』なのか?」という疑問が投げられて、
つい、「『みかげ』は、古語で月の形のこと(だったような気がする)なので、満月というのは、
みかげの心がすっかり満たされたことを意味するのではないか。」と答えてしまった。
本当にこう解釈して良いのだろうか…K全さんは、納得したようすだったのだが…
【会の様子と感想】
なにぶん、今回が初回ということもあって、始めの一時間くらいは、私を除いて、みんな口数が少なかった。
しかも、私もあんまり小説とは関係ない話をずっとしていた気がする。
私の家の「家庭内政治勢力図」やの、「関西私立高校事情」やのをしゃべり続けていた。
後半になると、ぽつぽつ本の話に戻ってきて、上で述べたような話題が出てくる。
あまり白熱した議論という訳ではなかったが、私には見えなかった切り口を教えてもらって、
初回からなかなか有意義な時間を過ごせました。みんなはどうだったのだろうか?
話し合いは、5時から7時過ぎまで、2時間半過ぎに及んだ。
帰り道で、みんなが「またやりましょう」と言ってくれたのが嬉しかった。
失敗したら、1回だけでぽしゃるかも知れない、と思っていただけにね…
第2回 フランツ・カフカ 「変身」へ
トップページへ